青二才の渡航録と備忘録

海外お菓子と旅行とカメラと景色と僕。海外に憧れたジュクジュクの未熟者が少しだけ夢を叶える経過🇰🇭🇮🇹🇹🇼🇩🇪🇫🇮🇪🇪🇸🇪🇹🇷🇨🇿🇳🇱🇦🇹🇬🇧🇲🇹🇪🇸🇸🇰🇭🇺🇭🇷。 2018.02.28〜2019.02.14ドイツ留学。

ボジアロス

   カンボジア渡航。1度目は今から1年半前、2度目も1年前かとぞ、感慨にふける。

   メコン川沿いのベンチで何をするではなく無為に無感情に無思考に川の流るるを見、小さなボートの漂うを見、対岸のソカホテルを眺め、広場に走る子どもと戯れ、備え付けのストレッチ器具に触れ、オランダより来た観光客と交流し、マリファナを断り、ブルーパンプキンでシェイクを頼み、3000リエルくらいでカンボジアリーグの試合を観てスタジアム内の屋台で特殊な色のソーセージや肉を食べ、あまりの美味に再び注文し、謎多き日本語表記ドリンク『ここぞ』を飲み、ちょっと臭いセントラルマーケットの魚売り場を歩いて、安いTシャツとハンモックを買って、偽物のアイスウォッチを見つけて、イオン プノンペン店で休憩して、ソリアで仲間内の誰かがドリアン味のアイスにチャレンジして嗚咽を繰り返し、夜の川沿いでビールを飲み、王宮付近を散策し、日々 蚊に刺されて苦しみ、灼熱の中で肌を黒く染め、ママカップとフレッシィのオレンジジュースを飲み食い漁り、世話になった先輩とケーキを食べて、空港まで見送って、ちょっと便利な持ち手がついたペットボトルの水を持ち歩き、時に落としてボトルが弾ける。

田舎の村で老婆と拙いクメール語で話し、あまり話せずとも笑顔をもらい、村の家族親戚一同に迎え入れられアンコールビールを飲み、缶タブのくじの当たり外れに笑い、缶を開けるに失敗して飲めなくなり、還暦をとうに超えた家主に早朝ランニングに誘われ、サンボープレイクックをゆったり歩き、村を彷徨し、水牛や豚や鶏の自由に歩くを眺め、毎朝屋台で肉まんみたようを買い、息を飲むほどに赤く美しい夕陽に感動しいしい太陽の沈むを眺めつ見惚れつコンポントムの、喧騒溢れる都市とは少し違う穏やかな、クラクションの聞こえない、あまり臭くないマーケットで1500リエルほどの みかんまんじゅうや揚げバナナ、円盤状の餃子みたようを食べ歩き、ナッツを買い、1キロ1ドルくらいのマンゴーを買ってホテルで切る。舗装路なき土埃の中ワゴン車に揺られ、井戸の水の出し方を教わる。

40℃近い猛暑と陽射しの中、レンタルの、少し大きな、ギアの変わらぬトレックのマウンテンバイクを駆り、マイナーな遺跡を周り、人の息を感じぬ静けさの遺跡で腰掛け涼み、そこかしこに犇く、パラソルとクーラーボックスのみの装いの店でスプライトを買い、沐浴場の岸に座って目を瞑り、名前は何であったか、ピラミッド型の遺跡の頂上で、宇都宮に住んだと言うアメリカ人夫婦と写真を撮り、傾いたサドルに尻を痛め、疲れ果て帰り寝て、出の悪いシャワーを浴び汗を流すもときには水しか出ず、ときには茶色の水が出る。トゥクトゥクで少し離れた遺跡へ赴き、山を登り、山上の遺跡でアンコールビールを飲み、街に帰りバイチャーとバイサッチュルクを食べ、クメールオムレツとロックラックを貪り、屋台の、ピリ辛の焼きそばみたような物に挑んで、それからというもの毎晩通い、パブストリートでお酒を飲み歩く。      

   そんな1年半前と1年前みたような1ヶ月半を、あと1度でも過ごせたらと、アンチSNSポエマーたる筆者らしくもなく、思うのであった。そう、だから、ブログなら、それも多少は、自らの矜持を保ったままで、こんなことを書いても良いのではないかと。

    心動くに涙伴わぬ、人として欠落する筆者がなぜ、かくもサンチマンタリスムを感ずるか、その故が、自覚なくも元より東南アジアに心惹かれるタチであったのか、初めて訪れた異国の地が此処であるからかなど、挙げ列ねてこそみるもの、当人たる筆者にも確信を得るまでには至らない。今にして思えば、自らの過去を省みるに、カンボジアにいたときが、最も自分が生きていたと感ぜられる。述ぶまでもないが、憧れたヨーロッパの地、イタリア、ドイツ、スウェーデンフィンランドエストニアを訪れたは、ある種、筆者の夢の実現に他ならぬものであり、その喜びも、何にも代えがたい価値を持つ。しかし何より鮮烈で、何より鮮明に脳裏に焼き付けらるるは、やはりカンボジアでのことである。期間が長かったこともあろう、初めての異国の地として愛着もあろう、気負わぬお国柄のせいもあろう、恐らく筆者は、この先何があろうとも、どれだけの月日を経ようとも、あの日々を忘れることは決してないだろう。何よりもかけがえのない自らの歴史として心に刻まれ、風化することなくこの身と添い遂げ、この命朽ち尽き果てるその時まで、あるいは、冥土の土産にさえして抱えていくことだろう。

   それはそうと、ただ海外に行きたいなどと、単純極まる夢を見て大学に入学した青い少年は、どうやら彼の当初の予定を遥かに上回る夢の実現を果たし、未熟ながらその夢を未だ継続している様子。父と兄の背中ばかりを見てきた、およそ自分の意思を多くは持たない少年の、ただひとつ、自らの意思と呼ぶに相応しいこの行為を、それこそ世を去るときまで大切にして、その夢を見続けられたとしたら、それはとても幸せなことだと思う。その少年の好きな映画でも、希望の何たるかが描かれていた。往々にしてネガティブなその少年も、その希望だけは抱いても良いと自らに許した。