青二才の渡航録と備忘録

海外お菓子と旅行とカメラと景色と僕。海外に憧れたジュクジュクの未熟者が少しだけ夢を叶える経過🇰🇭🇮🇹🇹🇼🇩🇪🇫🇮🇪🇪🇸🇪🇹🇷🇨🇿🇳🇱🇦🇹🇬🇧🇲🇹🇪🇸🇸🇰🇭🇺🇭🇷。 2018.02.28〜2019.02.14ドイツ留学。

ヘルシンキからクリスマスを見る。信仰と寛容性?

 フィンランドの首都ヘルシンキに来て、早くも5日目が過ぎ去ろうとしています。

今回の渡航の4割が終わろうとしている中、すでに一抹の物寂しさを感じないでもありません。いられることならいつまでもいたいのですが、そうもいきません。まあ、そのちょっとした物足らなさが、海外旅行の楽しさをより引き立てるというのが常であり醍醐味ですね。

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 さて、今回は、筆者に似合わず、ちょっと真面目なことを書いてみようと思います。

12月25日は、皆さんもよく知る通り、クリスマスです。ただ、我々日本人(ここでの『日本人』はキリスト教徒ではない日本人を指します。)の多くが考えるクリスマスは、ヨーロッパにおけるそれとは果てしなく大きな乖離があり、全くもって別の物と言い放ってさえ、過言ではないと思います。日本では、子どもにとっては、サンタクロースがプレゼントをくれる日。筆者も含めた学生にとっては、例えばケーキやターキーを並べた食卓を囲み、恋人や友だちと楽しむ日。子どもを持つ大人たちにとっては、自らがサンタクロースの代わりに子どもにプレゼントをあげる日。そのどれを取ってみても、宗教的な意味合いなどは、恐らく皆無と言えるでしょう。この日を迎えると、皆の口をついては出てくる言葉『メリークリスマス』。一体何がめでたくてこの言葉を言い合っているのか、筆者を含めた多くの日本人は考えたこともありません。ここで筆者が言いたいのは、日本人の一般的な、『単なる祭日的な意味合いでのクリスマス』を批判んするようなものではないことだけは、先に明示しておきます。日本においてのそれでさえ、多くの人が幸せを感じられる日なのですから、むしろ推奨されるべきものです。

 

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 本題に戻ります。筆者は、2015年までのクリスマスは日本で過ごし、2016年のクリスマスは水の都ヴェネツィアで、今年、2017年のクリスマスはここ、サンタクロース(聖人ニコラウス?)の故郷フィンランドで迎えました。そこで感じた1.『メリークリスマス』の魅力、2.現代のクリスマスとキリスト教文化について書こうと思います。

 

 1.  ヨーロッパでは、程度の差こそあれ、多くの人がキリスト教を信仰しています。この時期になると、友だちや家族だけでなく、レストランでお会計を済ませたときやお店でお買い物をしたときの店員と客の間でさえ、"Merry Christmas""You too"という会話がなされます。これが"Happy Holiday"でも"Frohe Weihnachten"でも"Buon Natale"でも"Hyvää joulua"でも"God jul"でも同じで、この、自然にお互いを祝い合い、意図せずとも成り立つ会話に、筆者は一種の美しさというか、尊さを感じました。

 

ただの感想じゃん。

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 2.   一口にキリスト教と言い切ってしまうのは間違いだとは思いますが、一旦その手のつけようもない大きな問題は置いておきましょう。キリスト教はやはり宗教なだけあって、宗派によっても様々でしょうが、しきたりや儀礼といったものが重要視されます。ただ、それら全てに絶対遵守では、現代社会に適応できないことは火を見るよりも明らかで、どうあっても時代に適した形態に、少しづつでも『変容』していきます。この『変容』が、『ヨーロッパにおけるキリスト教の影響力が弱まっている』ことを示すのか、『キリスト教への信仰が薄まっているのではなく、キリスト教文化それ自体が時代に適応して形を変える寛容性を持つ』ことを示すのか、はたまた全く別のことを、と、この数日で筆者はこのようなことについて大変気になるようになっちゃいました。

 『変容』?と言われても、と思う方もいるかもしれませんが、安息日、が良い例だと思います。現代では、日曜日でも多くのお店やレストランは閉まりません。電車も止まりません。つまり、みんなしっかり働いているのです。

 それはさておき、なぜ『変容』していると感じたか、を書きます。筆者はフィンランドへ来る前から、それはもうしっかりと現地について調べました。そこで知ったのですが、クリスマスマーケットは大体が12月初めに始まり、クリスマス前、つまり23日くらいに終わる、というのが基本なんですね。しかも、フィンランドでは12月24日(Christmas Eve)、12月25日(Christmas)、12月26日(Boxing Day)の計3日間『全ての観光施設、商業施設、博物館、美術館、レストラン、デパート、コンビニ、スーパー、トラムやバスや電車、果てはフィンエアーの航空機や一部のホテルに至るまで、全てが閉鎖される。』と、多くのブログやWebサイトに書いてありました。これはひとえに、クリスマスは仕事を休み、家族との団欒を楽しむという文化のためです。

 これを知って恐れをなさない筆者ではありません。23日にスーパーで食料を買い貯めておこうとか、体積ばかりあるピーマンのように虚ろな頭を捻って、それはもう必死に策を講じたわけです。そんなに考えた割に結局めんどくさくなって買い物をサボってしまうところが、筆者の不徳の致すところ。そして迎えたクリスマスイブ。冷や汗とともに目覚め恐る恐る外へと出てみると、あれ、スーパーやってる。デパートも午前中だけは空いてる。HESBURGER(ローカルなファストフード店)もやってるし、トラムもバスも電車も走ってる。博物館やレストランは閉まってるけど25日には営業するところもしばしば。そう、つまるところ

何も、困ることがないのである。

閉まっている割合は確かに高いが、それでも我々観光客や現地人の生活に不自由するほどに社会の機能が停止しているわけではないのだ。お腹がすけばファストフードでもスーパーの焼きたてパンでも食べれば良い。観光したければ、せっかくのChristmas Serviceでも参加してくれば良い。遊びたければ、ヘルシンキ中央駅前のスケートリンクで滑ってくれば良い。

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 ただ、この嬉しい誤算とも呼べる代物を、単にラッキー、安心した、で済ませてしまうのは、いささか勿体無い。なぜ数年前の情報と、今回の筆者が実際に遭遇した状況はこんなにも違うのか。これを、数年前のブロガーがテキトウなことを書いたのだ、と一蹴することもできますが、そのブロガーがそんな嘘をつくメリットはないし、もはやただの風評被害です。それでも夏のフィンランド旅行の情報はたくさん出てくるのに、冬のフィンランド観光の情報が極端に少ないのは、『フィンランドの観光シーズンは基本、日が長く活動もしやすい夏であり、暗く寒く店も少ない冬ではない。』からだとも考えられます。某有名観光雑誌でも『夏の』○○は〜〜でとてもオススメです、などと書いてあるほどです。筆者は何度「じゃあ、冬はどうなの?ねえ?」と、思ったことか。

 つまり、数年前の情報と筆者の実体験が食い違うのは、たぶんほんのここ数年、下手をすれば去年や今年あたりから、クリスマス前後の3日間も営業する施設が増えたから、なのではないでしょうか!?たぶんね。ちゃんと太字斜体にして下線も引いたよ!

 

 え?店員さん?クリスマスだよ?仕事なんてしてないで家族のもとで過ごしなよ!と、疑問に思うのが自然な流れというものです。そう、やっと本題!

この、『クリスマス前後は家で過ごす』という長らく続いてきたであろうしきたりを、覆すこの事態。非キリスト教徒の人たちが代わりに働いている、というわけではない。

良いのか?良いのか?お?と心中で煽ってみる。汚物のような性格をした筆者なのであった。

 そう。例はこれ以外にも。観光客も多く訪れる教会、クリスマスの風物詩、ミサにも変化があります。ミサについて詳しいわけではないので何とも言えないのですが、ヴェネツィアのサンマルコ大聖堂で参加したChristmas Serviceは12月24日23時ごろ始まり、12月25日01時ごろに終わる、2時間ほどのものでした。調べてみると大体が2時間程度を要するもののようです。しかし、ヘルシンキで最も代表的な会場ヘルシンキ大聖堂のfacebookのChristmas service要綱を見てみると、通常通りのChrismas Serviceとはまた別に、いつできたのかまでは調べていませんが、Christmas Service for Familyなるものがあります。このfor Familyとは、子どもを持つ家族を指すようで、どうやら一部の工程を短縮して、手短に済ませるもののようです。子どもにとって静寂の中ジッとしていなければならない2時間など、さながら地獄でありましょう。他にも、仕事柄なかなか時間を取れない人もいるでしょうし、様々な理由が考えられます。ただ、確実に言えるのは、『変容』している、ということです。それが冒頭でも述べたように、『キリスト教の影響力が弱まっている、信仰が薄くなっている』ことを示すのか、『キリスト教が、信仰の水準は維持しつつも時代に適応する寛容性と柔軟性を持つ』ことを示すのか、後者であれば、宗派によってどのような違いがあるのか、現段階の筆者では分かりません。最もそれが、考えるに値するほどの解答を持っているかどうかさえ、今の筆者には分かりません。その答えを知るにはそれなりの時間と根気が必要になるでしょうね。まあ、そこは気が向いたら調べてみたいですね。

え?終わり?こんなに溜めて?って思ったでしょ。

そう、終わり。いや、だって、僕、けっこう疲れちゃったし、、、。

勢いだけで書いてしまったので後で直すかも、、、。

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